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幸せとは状態であると錯覚する理由

このところ毎日ブログ書いてるけど、仕事している証左です。
仕事してると、逃げたくなって、文章を書いているだけ。

 


幸せとは「出来事」なのに、なぜ、気を抜くと、

幸せとは、結婚、両想いの恋愛、子供といる日々、とかいう「状態」なるのか??


*仮説*

幸せの瞬間は「無我夢中」であって、

幸せを納得しつつ自覚するのは、過去として振り返るときだからである。

 

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人間は、過去を振り返るとき、出来事の瞬間ではなく、過去の「状態」「状況」をまるまるとらえる傾向にあると思う。つまり、「幸せな出来事」ではなく「幸せな出来事を取り巻く状況」まるまるで「幸せ」と認知する。


ぼくは、カノジョと同棲していた1年間を思い出すことで、これまで10年間やってこれた。あの幸せな日々があったから、死にたいとか毎日聞いても、堪えられた。

 

とか、勝手に思っているけど、同棲していた当時は当時で、たぶんそれなりにカノジョを鬱陶しく思っていたり、仕事がうまくいかない、しにたいとか思っていたはずだ。

 

断続的に訪れる、「幸せという出来事」の積分値を「状態」として振り返る。その「過去の幸せ」を再現したいと思うからこそ、幸せとは「状態」であると錯覚するのだろう。

 

いわば、人間の求めてやまない「幸福な状態」とは、「未来の思い出」と言うべきもので、そんなものは永遠に来ないし、錯覚であろう。

 

幸せな出来事をかみしめて、未来は、あくまで着々と仕事として、したたかに計画されねばならない。

 

休憩終了。がんばろう。

 

ps

カビラさん、よくわからないんですが、

ずかちゃんに、最後のデート?のお願いのメモ書きを書いてみましたよ。

3月でこのブログも閉じたいなぁ。

くぅ~!