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物的証拠

ぼくは、例えば旅行に行ったり、プレゼントをもらったりすると、買い物のレシートだとか、プレゼントの包装だとか、出来事を圧縮した物質をとっておく変な癖がある。


部屋の引っ越しで、カノジョとともに過ごした12年間の履歴と、

職場の引っ越しで、ずかちゃんがくれた1年間の履歴とを、

物質的に顧みた。

 

そして、職場の引っ越しにいたっては、過去の自分の遺した仕事に対する圧倒的な熱量が、恋愛でぼおっとした頭に風を起こす。

 

あぁ、こいつは幸せな人生を過ごしているなぁと思った。


ぼくの自覚症状は、つらくてつらくて仕方がないけれど。きっとこいつは、幸せな人生をおくっているんだろうなぁ。端的に言って、ぼくはもう振られたくないし。さびしい。あなたがた、どちらの世界にも、ぼくは本質的には必要ではなくて、ぼくの居場所もきっと用意されていないんだろうと思ってしまって、つらくて仕方がない。ぼくにはやるべき仕事があると思っているが、人間性をささげて走り続けないと「やるべき仕事」がどんどん逃げて行ってしまう。「やるべき資格」は明確に定義できるのだ。

 

錯覚不幸全開の恋愛ポエムが許されるならば、朝、誰もいない職場で一人で仕事をしていると、ずかちゃんが笑顔でおはようと元気に挨拶して入ってきて、毎日がはじまる。そんな日々がもう終わると思うと、もうぼくは悲しくて仕方がない。

 

だがしかし、

 

実のところ、ぼくは幸せとしか言いようのない人生を送ってきたし、送っている。

 

物的証拠がある。錯覚の不幸は忘れ去り、自分の運の良さを誇り、大切な人たちと、自分のなすべきことをなす時間を楽しみつづけよう。

 

 

やっぱ日記すぎて、内容がない。ブログとしては適切ではない。