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関数5

新年あけましたので今年の錯覚不幸10以上

・コミュ障 → 人並み以上にコミュニケーションが取れている。川上さんのブログに耽溺するあまりの、不必要な自己否定。たぶん錯覚。リアルで他人と普通にしゃべれる時点でコミュ障ではないんだろう「残念ながら」

・あのこに大事にされていない → たぶん、あのこはぼくの仕事内容を、ぼくと同じくらいに確信をもって肯定してくれている。そしてそれこそが愛情表現だとおもっている。もちろん「普通のイチャイチャ」は全くないけれど、(仮に他人が愛を語らいイチャイチャするのが普通だとしても)それは個々人に依存した個別的な事柄なのだから、必要条件ではないのだ。18の時のぼくだったら、あのこがたまに手を握ってくれるだけで、天にも昇るほど、幸せなはずなのだ。

・ぼくは関わる人をきっと他人を不幸にする/してきた → ぼくと一緒にいなかったとしても、幸福かは分からない。「関わる人を不幸にしている」という思いで生活することにこそ、他人を不幸にする要素がある。自分の興奮する内容を、他人と共有できないので、寂しいだけでしょう。

・ぼくは理解してもらえてない → 少なくないひとから理解されているから仕事があるのだし、よしんば理解されていないとして、それの何が問題なのか。ぼくが理解しているではないか。

・ぼくは友達が少ない → 友達が少ないのはかっこいいと思っているはずで、雑談さえする元気があれば、いくらでも友達はいるはずだ。

・おうちへ帰ると独りだから寂しい → 好きな時に本を読める、好きな時にオナニーできることを教授しつつ言うのは説得力がない。十分楽しんでいるのだ「残念なことに」。みんなとLINEでつながっているでしょう?

・職場で冷遇されている/いた → きっと職場の人たちの気持ちを、十分に把握せずに、"公序良俗"、"政治的正しさ"と"自分が培ってきた基準"からの逸脱に目くじらを立てて断罪しているだけなのだ「残念ながら」

・不潔 → 某方に言われ続けてしまって、それを鵜呑みにしているだけで、今は割と身なりを整えている。客観的には。

・ファッションセンスがない → 家族と某方に言われ続けてしまって、それを鵜呑みにしているだけで、今は割と身なりを整えている。客観的には。

・常識がない → 某方に言われ続けてしまって、それを「悪いこと」と思っていたけれど、アイドルや役者の名前を知らなくても、V6のメンバーすら誰もいえなくても、むしろそれは魅力になりうる。

・女の子に告白されたことがない → ぼくが隙を見せなかっただけなのだ。残念ながら。ぼくを好いてくれていた人は客観的に見ていたんだと思う。女の子に告白されたことのない立場のほうが、ネット的に、世間的に、有利だと思っている節もあるでしょう。だからきっと大丈夫。

・安定していない職業についている → 使命感をもって仕事をできていることは、むしろ希少である。「安定」とは精神が安全であることと、衣食住にしばらく困らない見通しがあることで、いまの職業に打ち込むことと、貯金残高とで十分達成されている。

ふーむ、多少自罰的表現があるのが、まぎれもなくぼくの言葉っぽい。 もっともイケてるのは「常識がないのは、実は魅力である。」かしら。 全体的にzuka関数っぽくないんだけれど、ボールをなげると不幸ではない球をかえせている?ので良しとしよう。

錯覚不幸を打ち消す言葉をさがすときに、半ば諦めのような感覚が伴うのはなんだろう。自分の凡庸さを認めてしまうような。 ともかくも、錯覚不幸は承認欲求が生み出した産物で、錯覚不幸で承認の代替をしているかぎり、 「残念ながら僕はコミュ障ではなかったのかもしれない」という"承認の喪失感"は伴うものなのかもしれません。

そして、きちんと承認が調達できた場合、「よかった、ぼくの不幸は実は思い込みだったのだ」となるのだろう(たぶん)。

逆に言えばこう考えることもできる。

仮説:錯覚不幸の完全な消去には、それと同等のハピネス力や肯定的な物語を必要とする。