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前提

ぼくは、人間と人間は、原理上絶対に分かり合えないと思っている。

ユクスキュルを持ち出すまでもなく、ハードウェアが大きく違うからだ。

若いころ、ぼくのごく近くには、統合失調症を患っているひとや、1か月にいちど瀕死になる奇病にかかっているひとや、嗅覚がないひとがいた。

彼らと幼年・少年期の大半の時間を過ごしてきて、わかるのだ。

彼らの実感は確実に僕に内在化できない。分かり合うことはできない。

可能なのは、間違っているかもしれないこちらの想いを投げて、あとは祈るだけだ。

 

人間同士の共同生活だから、嗅覚がなくても、みんなに合わせて「いい匂いだね」と言える。

睡眠障害で苦しむのを知っていながら「旅行はいいね」と言える。

お客さんの前では隠し通すこともできる。

言葉の上での共感は、技術だ。

 


無限に回る共感操作の果てに、

他人の「ほんとうの気持ちっぽい何か」を微かに感じたと確信できるとき、ぼくは無類の幸福を感じる。月の裏側が見えてしまったような、なんというか、そういう素敵さだ。

この幸福の基準は、ちょっと変えることができそうにない。なので前提に置いてみた。

 

project-zukaがいつまで続くかは知らないけれど、

前提さえ覆るような変化が、ぼく自身に起きればいいなとも思う。

 


少なくとも、ずかちゃんの気持ちについては、

ぼくは、形式的には誤謬に緊張する体を取りながらも、本質的には安心して断言できることが多いのだ。

もちろん、「あいつの気持ちは分かっているぞ!」なんて胸を張る気持ちはさらさらないんだけれど。

 

 

月の裏側は、そんなに遠くない、とか。
団子を食べながらのお月見は、ほんとうは楽しいのだ、とか。

 

そういう実感が生まれたりするんだろうか?