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発見7

フラれてから、

 

 

ずかちゃんが、ぼくのそばで、ぼくの目をみて笑っても、勃起しなくなった。

 

 

当然、我慢汁も出ない。

 

 

幸せな気持ちとともに、悲しみや辛さのせいで、頭がチリチリするだけだ。

 

 

 

今月に入って、チノパンも履けるようになった。

project-zukaは、確実に終わりが近づいている。

 

 

 

 

 

ぼくの誇りは、ずかちゃんと過ごせた、一瞬一瞬のほとんどを、

「この瞬間しか起こり得ない、素晴らしい出来事」として存分に享受できたことだろう。

恋心の幽霊が、ずかちゃんへ好意をぶつけたがっているが、

ずかちゃんはうまーく、いなしてくれる。

 

最後の瞬間まで、たのしもうと思う。

実践1

母が、何らかの理由でパラノイア的な不安に駆られたらしく、

ぼくの住まいの状況や、預金額、職場を何年続けられる目途があるのか、会社の将来性はどうなのか、と電話で根掘り葉掘り聞いてきた。

昔だったら、割と素直に現状の詳細を説明しただろうけれど、ぼくは早々に打ち切った。

 

「これ以上いろいろ説明して、どんなに良く話をつくったとしても、結局、母上の不安は解消されないと思うから、むしろ、こんなもんにして、あとは知らなくていいよ。」

 

「状況をすべて知らないでいることで、むしろ安心していてほしい。」

 

「ぼくは、今、楽しく仕事はできている。生活は大昔の学生の頃より、十分に安定している。いま解雇されても、数年は余裕で生きていられるってことだけ覚えておいて。あとは知らないでいてくれたら、きっとその方が楽しい。面白いことがあったら、たまに伝えるし。」

 

と言った。

 

ハピネス力、もとい、あの子にありがとうです。

 

 

こういうブログなら、つけ続けられるだろう。

project-zukaは、来週で閉じて、こういう話を綴っていこうかな。

確実に、ぼくとぼくを取り巻く状況は、project-zukaによって好転している。

関数6

今日はしばらく話す機会があって、心のノートに刻み込みたい言葉を、たくさんもらってしまいました。文脈を切り取って、入れ替えて引用します。

 

7つの習慣 成功には原則があった! スティーブン・R・コヴィー 

  • 第2の習慣は、生活の様々な状況に当てはまるものであるが、最も基礎的な応用は、全ての行動を測るための尺度として、人生の最後の姿を描き、それを念頭において今日という一日を始めることである。そうすれば、自分にとって何が本当に大切なのかをベースに、今日の行動、明日の行動、来週の行動、来月の行動を計画することが出来る。
  • 第2の習慣は、言葉通りの意味で捉えることが容易である。つまり、自分の墓標になんと刻まれたいかということを常に考え、そのキーワードを目標として行動していくということである。

 

 とある師匠いわく

 

 「最高の経営者にして、教育者、ここに眠る」とかね。

 

ぼく、

 無し。無が良い。墓標に何も刻んでなくても、世界の誰かを一瞬ささえられたりできれば、何か良い影響を遺せていれば、それでいい。

 

Zuka、

 

 わたし、ほっんと能天気ですよ。お墓に何したか、書いてあるとしたら

 「生きた!」って書いてあると思います。

 

 

Zuka 一呼吸して、

 でも、 ""「何かを成し遂げた」 と、お墓に書かれたい"" と思って努力している方々のことは、とても尊敬します。 

プレゼントをもらったらどうするべきか

ずかちゃんに教えてもらったことは、本当にたくさんあるのですが、この長文を最後にして、4月前に、ぼくはブログを閉じようと思います。

 

正直、フラれたのも苦しいし、こういうツールがあると、ずかちゃんへのおもひに耽溺してしまって、仕事が全く進まないのだ。

 

 

 

命題:プレゼントをもらったら、どうするべきか?

 

回答:「ありがとう!」

最低限の礼儀。

・モノは欲しくない。ゴミが溜まるだけ。(僕の家はコップが1個、冷蔵庫もない)

・食べ物は好き嫌いはないが、ぶっちゃけ腹に貯まれば(一人で食べる分には)何でもいい

・お酒は飲めない

・金のかかる趣味は無い。ネットと本くらい。

 つまり、プレゼントをもらっても、邪魔になる。

くれるのは嬉しいけれど、きちんと謝意を示す以上には、心から喜べることはほとんどない。強いて言えばお金?ボーナスとか超嬉しい。「金は鋳造された自由である。」とドストエフスキーは書いている。

 

 

以上は、ずかちゃんに会う前のぼくだ。

「ありがとう」の後に、本心で喜べないことに関する膨大な言い訳と、面倒くさい引用がつく。

 

 

カノジョとも価値観は共有している。例えば、ぼくがカノジョにマカロンを贈ると、食べた後、「結局、チョコパイのほうが美味いよね、値段対コスト最高」と言う。間違ってない。二人で増幅しあってたんだねぇ。今ならわかるけれど、チョコパイを理由にマカロンを非難する理由はどこにもないのだ。落ち着いた本音は、ぼくを和ませるけどね。

 

 

 

zuka-回答: 

1.贈り物をくれた気持ちそのものが嬉しいことを表明する

2.まず、プレゼントを使っているところを見せる

3.プレゼントを大切にしていることを表明する

4.そして、「そうすることで、わたしも幸せ」と表現する。

 

 

具体例:

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クリスマスの時に、ずかちゃんに紅茶のティーパックをあげた。

 

「くれるんですか?嬉しい。なんで私がxxが一番好きって知っているんですか?さっそく、使わせてもらいますね!」

 

と、いきなり開けて、とても嬉しそうに飲んでいた。紅茶を飲んでいる彼女とすれ違うと、コップを指さして、笑顔でこっちを見ていた。

 

数か月後に、職場でケーキがふるまわれたとき、ずかちゃんは家にケーキを持ち帰った。

 

「この間いただいた紅茶と一緒にケーキ食べましたよ。最後の紅茶でしたけど、ケーキと一緒に楽しめました。幸せでした!」

 

って言ってくれた。数か月越しのフィードバックにびっくりした。

 

 「忘年会の時に、外出てすぐにカイロをくれたのが嬉しくて、あのカイロ、おうちに記念に取ってあるんですよ。」

 

「職場用の暖かい室内履き、もこもこで幸せすぎて、友達に写真を送って自慢しました。」

 

「わたしは気がつきましたよ。大嫌いな虫の死骸が見えないように隠してくれていますね?」 

 

「大好きな妖精さんが、デスクを整えてくれるから、毎日暖かいです。」

 

 「いただいたチョコレート、食べるのがもったいなくて、おうちに飾りました。しばらく飾って眺めてます。」

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 効果:

ずかちゃんをおもんぱかってしたこと、ちょっとしたことにすら、気がついてくれて、そして喜んでくれて。とても嬉しかった。ぼくの人生は肯定されていると感じた。ずかちゃん本人が喜んでくれていると心から思えて、本当に幸せだった。

 

 

内部関数の評価:

ずかちゃんは、それなりに気に入った相手には、分け隔てなくこういう態度なんだろう。

 

 

比較対象とその改変:

ぼく自身は、カノジョにすらこういう態度はとれていない。

 

素直に、

 

「好きな人に対する、人を幸せにするプレゼントのもらい方」

 

を学んだ。

試しに、ずかちゃんやカノジョから何かもらうことがあったら、同じようなやり方で返した。驚くべきことに、ぼく自身がとても嬉しくなった。

 

”自分のために、プレゼントを考えてくれたこと自体が嬉しい。その嬉しさを表現すると、自分自身が嬉しい。”

 

こんな簡単なことですが、忘れる。「有難迷惑」ばかり増え、30歳を超えて、あとは死ぬまで働けば人生は完結すると思っていたが、大切な人にプレゼントを贈り贈られる楽しさを思い出した。子供ができた友人に、花を贈ったりしたくなった。

もちろん、この「プレゼントのもらい方」に関しては、全員に適用しようとしたら大変で、さすがに疲れるけれど、大切な人に、迷惑にならない形でなら、やってもいいかと思う。何より、自分自身の幸せのために。

 

 

ずかちゃんに関する雑感: 

美人だし、その天性のハピネス力ゆえに、多くの人に思わせぶりだったとしても、それは仕方がないことだと思う。「思わせぶりな態度をとるな」と怒る練習をしてみたが、空しいだけだった。

 

自分以外の男性に、上みたいな態度とるのは、ぼくが旦那さんだったら耐えられないと思うけれど、ライフパートナーに対して、きちんと誠実さをもっている時点で、十分じゃないだろうか。

 

ひょっとすると、ぼくの世界が小さすぎて、「女の子」はみんなこんなものなのかもしれない。

世界は広いなぁ。。

 

 

ぼくはいま、自分の大切な人たちと、幸福な出来事をたくさん楽しめる、やさしい世界に住んでいる。できるだけ維持できればいいと思う。その世界に、ずかちゃんがずっといてほしいけれど、過ぎた願いだし、最近はブログの趣旨も変わっちゃっているので、そろそろ仕事に没入したいと思います。

 

 

やっぱ、もう少しだけでいいから、ずかちゃんの「砂金を掬うかのようなハピネス力」を近くで見ていたいなぁ。ずかちゃんの愛情が自分に向けたものではないと、強烈に嫉妬する。ずかちゃんの人生の中心には、ぼくは存在していない。ぼくがいるのに旦那様をノータイムで選択する瞬間があるのが、心からしんどい。ぼくと一緒にいたいから、と人生を曲げてくれる人に出会ったことがないのかもしれないなぁ。極めて欲が深い。あぁくるしい。

 

 

くるしさを経てもなお、尊いものを見ている気分が消えないのである。

 

 

陳腐化された表現だが、このタイミングで、ぼくに出会ってくれた。という、最高のプレゼントを、ずかちゃんからはもらった。プレゼントを受け取ったら、どのようにして返すか、ずかちゃんほど上手にできる自信もありませんが、相手がずかちゃんならば、きっと大丈夫だと思う。

 

 

 

改訂版の回答: 

1.このタイミングに、ぼくの前にあらわれてくれてありがとう。勇気を出して、ぼくの職場に応募してくれて、とても嬉しい。

2.きみとの仕事によって、たくさんの成果が出て、なにより、ぼく自身の視野が本当に広がりました。幸せを感じる瞬間が大幅に増えました。

3.きみという存在は、ぼくの自慢です。親友たちや、カノジョにだって、何度も素晴らしさを語っています。何よりも大切にしたい仲間です。

4.きみといれて、ぼくは幸せです。できれば、ずっと一緒にいてください。

 

 

愛情表現だと、何も苦労なくzuka-回答が可能だった。

裏返して考えると、zukaちゃんは、きっと、ぼくの世界を愛してくれた瞬間があって、誰にだってそうするだとしても、それはたまらなく尊いし、幸せな出来事だと思う。

 

 

結論:

人を好きになるのは、

たのしくて、くるしくて、尊い

 

www.youtube.com

 

 

いやー、恥ずかしいブログを書き記したもんですね。

出来事1

本日は、自分の仕事の総括発表があり、とても忙しかったので、お昼を抜いた。

 


発表資料を印刷して、さぁミーティングという直前に、

ずかちゃんがあらわれて、ブラックサンダーを僕に手渡して。

 

「これを私の前で食べきるまでは、ミーティング行っちゃダメです。」

 

と言ってくる。

 

ぼくは、仕方なく食べる。

ミーティングにはギリギリ遅刻せずに行けた。

 

 

 

 

きっと美人じゃなかったら、ただの面倒くさい女、だったろうな。

 

 

 

今日は、送別会だったのだけど、ずかちゃんの色紙に何を書いていいのか、その色紙を旦那さんも読むことを思うと、よくわからなくて混乱した。

本心でもないし、ずかちゃんも「そんなことない」と言うであろう、反省の弁と謝辞を記した。

 

ずかちゃんからの、ぼくの色紙のコメントには、「恩返しをしたい」と書いてくれていた。

でも、ぼくは、既に十分受け取っているって思うのだ。

幸せとは状態であると錯覚する理由

このところ毎日ブログ書いてるけど、仕事している証左です。
仕事してると、逃げたくなって、文章を書いているだけ。

 


幸せとは「出来事」なのに、なぜ、気を抜くと、

幸せとは、結婚、両想いの恋愛、子供といる日々、とかいう「状態」なるのか??


*仮説*

幸せの瞬間は「無我夢中」であって、

幸せを納得しつつ自覚するのは、過去として振り返るときだからである。

 

ーーーーーーーーーーーー
人間は、過去を振り返るとき、出来事の瞬間ではなく、過去の「状態」「状況」をまるまるとらえる傾向にあると思う。つまり、「幸せな出来事」ではなく「幸せな出来事を取り巻く状況」まるまるで「幸せ」と認知する。


ぼくは、カノジョと同棲していた1年間を思い出すことで、これまで10年間やってこれた。あの幸せな日々があったから、死にたいとか毎日聞いても、堪えられた。

 

とか、勝手に思っているけど、同棲していた当時は当時で、たぶんそれなりにカノジョを鬱陶しく思っていたり、仕事がうまくいかない、しにたいとか思っていたはずだ。

 

断続的に訪れる、「幸せという出来事」の積分値を「状態」として振り返る。その「過去の幸せ」を再現したいと思うからこそ、幸せとは「状態」であると錯覚するのだろう。

 

いわば、人間の求めてやまない「幸福な状態」とは、「未来の思い出」と言うべきもので、そんなものは永遠に来ないし、錯覚であろう。

 

幸せな出来事をかみしめて、未来は、あくまで着々と仕事として、したたかに計画されねばならない。

 

休憩終了。がんばろう。

 

ps

カビラさん、よくわからないんですが、

ずかちゃんに、最後のデート?のお願いのメモ書きを書いてみましたよ。

3月でこのブログも閉じたいなぁ。

くぅ~!

つぶやき

仕事のほうで、いま、眼前で、大発見が起こっているかもしれない。
sparkleを聞きながら、残業をしていたら、ああ、これはすごいかもしれないぞと。
大発見をしちゃったかもしれない。

100の批判を同時に思いつく、
それに対応するロジックは準備しているが、まぁやってみないと結果は分からない。

 

 

でも、きっと、ぼくが見ようとしていたことは、きっと、この先にある。

 


あぁ、この1年間で、ようやく素晴らしい仕事をしたぞ、胸を張って言える。

 

 


きっと、zukaちゃんは、ぼくに、この瞬間を、たくさん味わってほしいのだ。

「自分はわからないけれど」めちゃくちゃ喜んでくれる、あの人の顔が思い浮かぶ。

 

 

 

 

もうちょっと統計処理をかませないと何とも言えないけれど、たぶん、

「この一歩は小さいが、じんるいにとって、偉大な一歩だ。」

たぶん。明日には醒めているかもしれないけれど。

 

 

BGMの力は偉大だなぁ。

あなたの手によって、生み出された仕事です。